アダルトチルドレンは穏やかに暮らしたい

アダルトチルドレンで社会不適合気味な私が、日々の出来事や考えを記録しつつ、穏やかで幸福な人生を送るためのソリューションを模索するための備忘録。

幼年期の記憶

私は、「常に傍観者視点」で「自己肯定感の低い」人間であり、このために日常生活で色々と難儀な場面に出くわすことが多い。


思えば、こうした人格形成がなされた切欠は、小学生時代の環境にあった気がする。


幼児期の私は、親戚などの周囲の話によれば、まさに明朗快活といった性格で、何にでも好奇心旺盛でひとりでどこまでも遠くに行く等行動力もあったようだ。
(そのために迷子になることも多かったみたいだが。。)
また、非常に話し好きで、大人に混じってあれやこれやとおしゃべりするのが好きだった。
この辺は、私自身も微かに記憶があり、確かにそうだったな、という感じはある。
まぁちょっと生意気な、どこにでもいるような腕白小僧といったところか。


そう、小さいころの私は明るく元気な少年だったのだ!


ところが、こんな私が一気に暗く、捻曲がった性格に変貌してしまうことになる。
ちょうど、小学校高学年になってからだったように思う。


私が通った小学校は、カトリック教系の私立で、厳格な校風だった。
戦前は軍人の子女が多く入学していたようで、その名残なのかもしれない。
とにかく、礼儀・作法・規律を非常に重んじる学校だった。
例えば、文房具類は指定された販売店で購入したもののみ使用を許可され、それ以外の物は全く認められなかったので、規格外の鉛筆を持参したら教壇で吊し上げにあった。
また、忘れ物にも非常に厳しく、何か忘れると「忘れ物帳」なるノートに明細を記入し、親のサインをもらいことが義務付けられていた。
要するに、親に黙っている、ということは許さない運用にしているわけだ。


もともと自由快活な性格だった私にとって、こうした強制収容所さながらの管理社会で過ごすことは大変なストレスとなった。
何より、自分の不手際がすべて親に開示される、という点が恐ろしくてたまらなかった。
そう、当時の私にとって、親、特に母親は恐怖の象徴だった。



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