アダルトチルドレンは穏やかに暮らしたい

アダルトチルドレンで社会不適合気味な私が、日々の出来事や考えを記録しつつ、穏やかで幸福な人生を送るためのソリューションを模索するための備忘録。

学生時代の記憶①

伝統ある厳格な校風の小学校に在学していた私は、箸の上げ下ろしまで細かく指図される管理社会に馴染めずにいた。
そして、そんな私が最も恐れていたのは、母親だった。


当時の我が家は、父が仕事の都合で遠隔地に単身赴任していた関係で、母と私、母方の祖父母の4人構成だった。母親は個人事業主として働いており、主な家事全般は祖母が担っていた。
母親の性格を一言で表せば、「苛烈」である。
非常にプライドが高く、完璧主義であり、そして何より激情家だ。


我が母校では、粗相(たとえ忘れ物をした程度でも!)をすると必ず親に連絡が行くシステムが徹底されていた。
(今考えても、なぜこれほどまでに徹底されていたか謎である)
当時の私は、あまり細かいことに気を配る性格ではなかったのでよく忘れ物をしたし、活発で目上の人間にも特に物怖じせずズケズケとものを言う方だったため、教師や上級生から見ると結構ウザい子供だったと思う。
一方、伝統あるキリスト教系の私立であった母校には、教師も生徒も基本的に行儀がよく、品行方正な者が多かったので、私のような子供は悪い意味で目立ち、教師の目にも止まりやすかった。
このため、低学年時には親に結構な頻度で私の素行不良についてのアラートが出されていた。
今にして思えば、要するに学校がミスマッチだったわけだ。


プライドの高い母は、自分の子供が粗相によって面子を潰されることがよほど我慢ならなかったのか、こうした「厳重注意」が届く度、烈火のごとく私を叱り、怒鳴り散らした。
それこそ、親の仇にでも会ったかのような怒りようで、正直、常軌を逸していた。
年齢一桁の実子におよそ浴びせかけるような言葉ではない罵詈雑言で罵り、手をあげることも珍しくなかった。
文房具を忘れただの、上級生に口答えしただのといった程度のことで、である。


今でこそこうして客観視できるが、当時の私にとっては、家と学校が世界の全てであり、自分の生殺与奪を握っている母は、絶対神に等しい存在だった。
その神がお怒りなのだ。
それはもう、めちゃくちゃに。
矮小で無力な私に何ができようか。
私は、ただただ母の怒りが静まるのをじっと耐えて待つほかなかったのだ。
あまりの激しい怒りように、祖父母も何も言えなかったようだ。


幸い、学校の友達には恵まれ、窮屈な管理社会は相変わらずだったものの、学校生活自体はそれなりに楽しいと思えることも多かった。
しかし家に帰れば、母の恐怖政治が再開する。
月日が流れるにつれ、学業成績や日常生活の些細なことに対しても怒りを発露するようになり、私にとって母の機嫌を損ねないように立ち回ることが日常となっていった。


学校で注意を受けないよう努めて従順に振る舞い、家にいる時間の大半を勉強に費やした。
口を開けば怒りを買うと思い、誰と話す時も必要最低限の言葉しか発しないようにした。


幼い私は、自分自身を守るため「自分らしくあること」をやめた。

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