アダルトチルドレンは穏やかに暮らしたい

アダルトチルドレンで社会不適合気味な私が、日々の出来事や考えを記録しつつ、穏やかで幸福な人生を送るためのソリューションを模索するための備忘録。

自分のこと

私は、何事に対しても無気力・無感動だ。
これまで生きてきて、「やる気」というものを出した記憶が無いし、
何かに熱中した記憶もない。
勉強も、仕事も、スポーツも、部活も、行事・イベント、果ては恋愛に至るまでの一切合切、である。
何というか、常に傍観者の視点なのだ。受験や就職といった自分の人生の一大事においても。
まさしく、自分の人生を生きていない状況、というわけだ。


加えて、全てに対して諦めているフシがある。
何に対しても、誰に対しても何も期待していない、と換言してもいい。
これが自分の力しか信じられないから自助努力する、という方向に向かうならまだ健全なのだが、
自己肯定感も著しく低く、ただ単に最初から期待しないほうが精神的に楽、という自己防衛でしかないので質が悪い。


この「常に自分事として捉えられない傍観者視点」と「自己肯定感の低さ」のダブルコンボが、現在大変に生きづらさを感じている原因と思われる。


いつ頃からこのような性格になってしまったか。
これは、私の幼年期の家庭環境に原因の一端があるように思われる。

所信表明

はじめまして。


突然だが、私はアダルトチルドレンである。
アダルトチルドレンとは、「機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなお内心的なトラウマを持っている」人のことである。
まぁ平たく言えば、なんらか問題のある家庭環境で育ち、成人してもなお、その後遺症が残ってしまっている人のことだ。


字面からは「子供っぽい大人」のような印象を受けるが、それはアダルトチルドレンの特徴の一部に過ぎず、実際には様々なタイプがあるようだ。
私の場合は、「極度に無気力・無感動であり、何事にも諦観している」という特徴に影響が表れている。
(このようなタイプをロスト・ワンというらしい。)


さて、こうした経緯(或いは私の持って生まれた性分かも)により、私は現在、結構な生きづらさを感じつつ日々を過ごしている。
正直に言おう。
仕事もプライベートもうまく行っていないし、それどころか、最近で何か充足感や幸福感といったものを感じた記憶が無い。
例えるなら、数日間表に出しっぱなしにしていた食パンのように、スカスカでパサパサ、カビも生え始めている。


だが、私は幸福になりたい。
私にとっての幸福とは、穏やかで平和な日々を送ることだ。
そしてあわよくば、エキサイティングなものにしていきたい。
エンジョイ&エキサイティング!
望まないこと、嫌なことはせず、興味のあることにリソースを傾けながら、気軽に平和に生きる。
そんな人生を送りたい、と心底願っている。


このブログは、アダルトチルドレンに端を発する難儀な性分を持った私が、幸福に生きるため、或いは自分の心情・状況を整理するための記録・備忘録として利用していきたい。